江戸前寿司から
生まれた
「玉子焼専門店」
松露のはじまりは
初代・齋藤乙松(おとまつ)が、
日本橋市場(現在の人形町)の寿司屋
「松露寿司」に丁稚奉公に
出されたことが始まりです。
松露寿司は、かつて松平家の
御用商人で
あったことから
「松の露」の屋号をいただいており、
11歳で奉公に入った乙松は、
兄弟子たちの厳しい修行にも耐え、
大正13年(1924)に現在の
この場所・築地で、松露寿司として
店を構えました。
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他の寿司屋の旦那衆が
魚河岸での仕入れ帰りに
立ち寄るほどの腕前でしたが、
終戦直後の統制下では寿司ネタも
思うように手に入らなくなり、
ヤミで仕入れたネタをこっそり
握ることを余儀なくされました。
警察の目をかいくぐるために、
妻よしが間口四尺(約120cm)の店先で
玉子焼を焼いていたのが、
たいへん評判となり、
玉子焼屋へと移行する
きっかけとなったのです。
そして昭和21(1946)年より
本業として、「松露の玉子焼」の
ダシの味を確立していきました。
昭和27(1952)年7月には
二代目・巳代吉(みよきち)が、
有限会社松露を設立。
築地場外市場において
主に業務用として寿司屋や
高級料亭などへ納める一方、
昭和58(1983)年の
三越銀座店への出店を皮切りに、
一般のお客様へも
「つきぢ松露の玉子焼」が
知れ渡るようになりました。
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伝統の玉子焼を、
日本全国の食卓へ。
味と原料への頑固なこだわりは、
代々受け継がれている
松露の伝統です。
開店当時は配給制のなごりで
砂糖の甘さに飢えた人が多く、
砂糖をふんだんに使う甘い玉子焼が
主流でしたが、松露では逆に甘みを
抑え、さっぱりした後味を目指し、
醤油をつける必要のない旨味のある
玉子焼の味を確立してきました。
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また、昭和57年(1982)より
茨城県坂東市(旧岩井市)の
「都路のたまご」から
鶏卵を仕入れ始め、
昭和61年(1986)には、
より安全で玉子焼に合う卵の
企画開発を都路と松露が
共同ではじめました。
そして現在の店主、三代目・元志郎の
アイデアと探究心により
様々な具入り玉子焼が
生まれていきました。
築地本店だけでは生産が追いつかず、
平成2年(1990)には
茨城県坂東市(旧岩井市)に、
平成16年(2004)には
東京都江東区塩浜にも工場を
立ち上げました。
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平成18年(2006)には、
本店以外で初となる路面店、築地新店を
築地四丁目交差点に開店。
そして令和3年(2021)、
松露と同じ卵を使ったスウィーツブランド
「tsukijiSHOURO」が築地新店の地に開店。
高級玉子焼とスウィーツ。
より多くのお客様に「松露」の美味しさを
お求めいただけるようになりました。
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店舗紹介